クリネックス ティシュー 至高 SHIKOU

「至高」の誕生秘話 <カシミヤ>を開発した男の挑戦

開発秘話1
一九七五年、沖縄海洋博覧会や、エリザベス女王が来日した年、一人の青年が山陽スコット株式会社(現日本製紙クレシア株式会社の前身)に就職した。京都大学農学部に学んだ彼は、入社以来、一貫して品質管理、商品開発畑で、「肌に触れる紙」の開発に携わってきた。一九八五年、M・Tが三十六歳の年、それまでの商品と一線を画する肌ざわりのティシュー「スコッティ・カシミヤ」の開発に参加。高品質ティシュー時代の幕開けを体験する。
開発秘話2
「ティシューは使われたそばから捨てられてしまう紙。だからこそ、その一瞬の触れ合いで、最高の安らぎをお客さまに届けたい。」かねてからM・Tが温めてきた高品質ティシューに対する思いは、「スコッティ・カシミヤ」の成功により確信へと変わっていった。
開発秘話3
しかし、すべてが順風満帆というわけにはいかなかった。バブルの崩壊、低成長時代への突入、一九九六年にはよきライバル、クリネックスを擁する十條キンバリーとの合併。ティシューにも高級志向と廉価志向のニ極分化時代が訪れた。そんな時代の流れの中でもM・Tを勇気づけ続けたことがあった。「それは『スコッティ・カシミヤ』を支持し続けてくださったお客さまたちがいたこと。」「私たちを支えてくれたお客さまに、いつか商品で恩返しがしたい。」いつしかそう思うようになった。
開発秘話4
ティシューの柔らかさは、さまざまな要素が繊細に絡み合う。針葉樹系パルプと広葉樹系パルプの配合比率、いわゆる紙漉き工程後の乾燥温度、乾燥後、クレープといわれる「しわ加工」の度合など。「最高の肌ざわりを届けたい。」日々の業務の中で、M・Tと紙との対話は続いた。
そして「スコッティ・カシミヤ」の成功から実に二十二年。あとニ年で定年を迎えようとするM・Tにチャンスは訪れた。「至高のティシュー」の開発。M・Tに白羽の矢が立った。従来のニ枚重ねを三枚重ねとし、まさに至高の肌触りを追及する。その日から、M・Tの苦闘が始まる。
開発秘話5
ローションの塗付によって肌触りを高める方法をあえて選択せず、それまで培った紙づくりの技術のみで、ローションティシューを凌ぐ肌触りを。目標は、ふっくらすべすべした赤ちゃんの肌。しかし柔らかさを追求するあまり、強さ、吸水性の高さ、紙粉(細かい紙の粉)の少なさなどで妥協があっては「至高のティシュー」と呼ぶには程遠い。
平らに三枚重ねた状態で、満足のいくレベルに仕上がったティシューも、ニつ折りでパッケージされた瞬間に触感が変わってしまう。定年間近の男が、試作品を経営陣に届けてはダメだしをくらい工場に帰っていく、という日々が続いた。
開発秘話6
パルプ選び、配合、原反づくり、抄紙、乾燥、ドレープ加工…、あらゆる工程で繰り返される試行錯誤。そして開発の開始から実に約一年。M・Tをはじめとした技術スタッフ、経営陣、マーケティングスタッフ、皆が納得する「至高のティシュー」はついに完成をみた。
開発秘話7
その至高の品質にふさわしく、パッケージには、書家の武田双雲氏の書をお願いすることにした。紙に対するM・Tの思いが、紙に思いを表現する武田氏に伝わるのに、さほど時間は要しなかった。柔らかさを書でどう表現するか。武田氏は薄墨を用い、「至高」の二文字に柔らかさに対する高橋の思いを表現した。
開発秘話8
ティシューを通じたお客さまとの触れ合い、若き書家との触れ合い、多くのスタッフとの触れ合い。人と人との触れ合いが、モノづくりを支え、生まれた「至高のティシュー」。どうぞ安らぎの肌触りをお楽しみください。

登場人物紹介

※「開発秘話」は2010年時点のものです。

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